表現とは。
何かができることではなく、
何かをつくれることが表現だ。
例えば。
絵が上手に描ける人がいる。
絵を描けるのはアートだし表現と言っていいかもしれない。
でも僕の中ではそれだけでは表現とは言えない。
小さい子供がわけのわからない絵を描いて。
「これは地図だ!」って言う。
地図には見えないその絵も、「地図だ!」と意味付けすると地図に見えてくる。
こっちの方が表現だなーって感じる。
以前『子供の絵が天才的な理由』でも書いたんだけど。
100人が絵を見て全員「さるだね!」ってこたえるものより、
100人が絵を見て「宇宙人!」「くま!」「マメたろう!」って全員がちがう想像をする。
表現とは、自分の想像からの創造で、見た人に想像させ、人の創造を作ることだ。
だから。
あるものを忠実に上手にできるのが表現ではない。
つくりたいものをつくって、誰がなんと言おうと自分は●●をつくった!と意味付けして現すことが表現。
あとは人の評価なんてどうでもいいのだ。
表現者は人に評価させるきっかけをつくっているんじゃなく、楽しませるきっかけをつくっている。
「これは上手だ!いや上手くない!」とかそういう会話を生みたくて表現してるんじゃない。
「これなんだろう?あーなんかこれかも!」とかこういう人の想像と創造を生みたくて表現してるんだ。
それが表現者でありアーティスト。
書道家(書道ができる人)ではなく書道アーティストであれ。
「こんな風に書いて」と人に言われて、それを上手に書いているだけでは、評価の世界で生きなきゃならない。
自分の書きたい道を創造していこう!
ダンサー(ダンスが踊れる人)ではなくダンスアーティスト(パフォーマー)であれ。
「こんな風に踊って」と人に言われて、それを上手におどっているだけでは、評価の世界で生きなきゃならない。
自分が踊りたい動きたい形を創造していこう!
音楽家(音楽を演奏できる人)ではなくミュージシャン(アーティスト)であれ。
「これをひいて」と人に言われて、それを上手に演奏するだけでは、評価の世界で生きなきゃならない。
自分が出したい音をつくって創造していこう!
「おぎゃー!」と生まれて、人はできることよりできないことが多いとこからスタートする。
できることがうらやましくて、かっこよくて、あこがれで、できることを増やして成長して生きてる。
でも。
できることは僕らを表現から遠ざけてしまっているかもしれない。
できるとは?
何か対象があって生まれる評価価値だ。
表現は評価価値の世界じゃないところにある。
できる力からつくれる力へ
『できる』はこれからどんどんロボットに奪われていく。
そのロボットを『つくる』ことができたのは人間。
僕らは『つくる』という表現の世界で生きていこう!
今の僕の表現とは、できることではなくつくれること。
あなたにとって表現とはなんだろう?
とはトレ。一緒にやって、自分の表現の力を世の中にどんどん出していこう!