感動とは誰かに作られるものではなく、自分で感じ取ってつくるもの

感動とは

誰かに作られるものではなく、自分で感じ取ってつくるもの

「自分に自信を持てない」
「自分を信じられない」

そんな風に言う人がいるけど。

最近感動して涙が出たことや、鳥肌が立って体が震えたことある?

おそらくね。
ないと思う。

きっとそういう人はね。思考ばかり使っていて、思考の先の行動、はたまたその先の感動を味わえてないんだと思うんだ。

 

感動は見えてるものではなく見えてないものにある

最近感動したこと思い出せる?

例えば僕は、昨日妻が作ってくれたレンコンハンバーグがめちゃくちゃ美味しくて感動…しそうになった。(笑)

だけどその次の妻の言葉に感動した。

「最近みんな季節の変わり目で咳をよくするから、なるべくレンコンを使った料理にしようと思ってるんだ。」

ドキンッ!
感動!

おいしさよりも、その想いに感動しました。

人は有形な見えるものよりも、それを作った無形な人の想いに感動する。

自分表現LIVEという、自分が伝えたい想いを表現の形にして10分間で人前で自分を表現し世の中をおもしろくするってこと仲間とやったけど。

作り上げた表現は表現としては無完成なものばかりだったけど、表現を0から作ってきた中に一人一人想いがあったから、見ていた人はみんな感動して泣いてた。僕も泣いた。

 

見えても見えてなくても、
人の想いを感じとった時に人は感動する。

 

見えてるものではなく見えてないものに感動はあるんだ。

 

 

言葉をもたないものに触れていこう

雄大な大自然の景色を見ると、なんか感動したりする。

そう。

自然は人をよく感動させてくれる。

でも自然は言葉を持たない。ただそこに自然のままあることをしてるだけだ。

でも。

その立ち振舞。存在感に、人は何かを感じ、感動してしまう。

自然は何か想いがあって、その想いを発して生きているわけじゃない。

でもその自然のたたずまいから人は自然と何かを感じ取って想いを仮想して感じ取る。

 

人がつくりだす表現もそう。

歌、ダンス、劇、ミュージカル、様々な表現がこの世の中にはあるけど。

1つの答えを押し付けてくる表現は、仕事としては成り立ってないと思う。

そんなことされたら、見てるこっちが嫌になる。

同じ歌を聞いても、聞いている自分と隣で聞いてる人では、きっと捉え方、感じ方がちがう。

人は表現を見て、人それぞれ自分なりに感じ取って感動してるんだ。

 

感動をつくるのは自分の中にある何かを感じ取る力によってつくっている。

理解しようとせず、感じ取っていこう。

 

目の前にある木は何を伝えたいか感じとっていこう。
目の前にいる人が何を伝えたいか感じ取っていこう。
人が放つ言葉が何を伝えたいか感じ取っていこう。

自分で何かを感じ取った時、人の中に感動が起こる。

 

感動は、誰かからもらうものじゃなく、自分で感じとって生まれるもの。

だから、僕らはいつだって感動できる。

 

10年前は言葉を自分で定義するなんて考えもできもしなかった。

「成長したな!俺ってすげー!」

人から感じ取るのもいいけど。

自分の成長とかを感じ取ってみるのも、感動が生まれる。

感じ取って行こう!

 

あなたにとって感動とはなんですか?

答えなんてないし、そう思ったんだもん!でいい。
そして、1ヶ月後、1週間後、明日変わってもいいんだ。

だって、人は成長しちゃうんだから。

今のあなたの中にある答えと声をきかせてね。

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