「勇気を持てたら」
「勇気が出せたら」
僕らはそうやって勇気という力を求めることがある。
「でも勇気っていったいなに!?」
勇気って持つものなの?
それとも勇気って出すものなの?
今日は勇気とはなにかについて書いてみよーと思いまっす!
勇気あるなーって思う人は勇気を使ってない
「この人勇気あるなー」って思う人って周りに時々いるでしょ。
できたらその人に「勇気ありますね!」って言ってみて、
そしたら対外こう返ってくる。
「え?勇気?」
そう。
[keikou]人から見て勇気があると思う人はたいがい勇気を意識していない。[/keikou]
「ユウキ?なんですかそれは!?」
おそらく外国人ばりの日本語の通じなさの返答がかえってくる。
勇気を持っている人はきっとただこう言ってくるはずだ。
「ただやりたいことをやっただけ。」
そう。
自分がただやりたいと思ったことを
自分の心に素直にやっただけの結果とその姿が
目の前にあるだけなんだ。
あれ?ほんなら勇気ってなんだ?
アレ?勇気がある人は勇気がほしいって思わない?
アレレ?勇気っていつほしいって思うんだっけ?
勇気がほしいと思う時って後先考えてる時
勇気がある人って何をしてるかというと。
『目の前のことを見てる人』なんだと思う。
今この瞬間それがおもしろうそうか、おもしろそうじゃないか?
今この瞬間それがやりたいか、やりたくないか?
ただ今を見ていて、その今に対して感情でただ動いている。
そのくらいシンプルな行動を取ってると思う。
でも一方で、「勇気がほしい。」って思う人は、
[keikou]今の自分の気持ちや感情を見ずに、
後先という思考を見てしまう。[/keikou]
「これおもしろいのかな?(やらなきゃわからんやろ!)」
「これやりたいのかな?(答えは頭にないんじゃいの?)」
「これやったらどうなるのかな?(んなもんやらなきゃ神だってわからん!)」
そうやって、
考えてもわからない後先という神の領域を
勝手に創造し妄想し、
挙句の果てには、起こってもないのに
最悪のケースとかマイナスなイメージを作って、
今を動かない変えない選択を自分に作ろうとしたりする。
そしてそんなことやりながら
「勇気がほしい」と勇気の力を求める。
勇気は作るものでも使うものでも持つものでもない
勇気はそこにあるもの。
僕はそう思う。
[keikou]後先考えずに、心が体が感じたままに動くことで
そこに生まれるもの、あるものが勇気なんだと。[/keikou]
もし、今勇気がほしい。勇気とはなんだろう?
あなたがそう考えてこれを読んでくれているのなら。
勇気を探すのを
勇気を見つけるのを
勇気を持とうとするのを
勇気を作ろうとするのを
勇気を使おうとするのを
やめてみませんか?
では勇気を使わずにどうしたらいいのか?
[voicel icon=”https://karimasa.net/wp/wp-content/uploads/2018/05/illustrain06-baba01.png” name=”おばあ”]自分に素直になればいいさね~(沖縄風)[/voicel]
今自分がやりたいことに対して
後先考えて頭で考えている時に勇気というものがちらつく。
だから。
[voicel icon=”https://karimasa.net/wp/wp-content/uploads/2018/05/illustrain06-baba01.png” name=”おばあ”]考えるのやめたらいいさ~。[/voicel]最強の武器はこれ。
『なんとなく』
やりたいんだったら、
なんとなく、できることから始めちゃえばいいのさ~。
考えたって未来なんて誰にもわからない。
だから自分で判断するのは
『やりたいか?やりやくないか?』それだけ。
やりたいんだったら、なんとなくやり始めちゃえばいい。
そしたら、流れがよければ勝手に進んでいくし、
流れが悪ければ滞る。
でも滞った時、本当にやりたい気持ちがあったら
きっとあなたはそれをあきらめないはず。
その姿が『勇気』という形となって見ている人の目に映る。
それが勇気の正体なんだと思う。
さぁ!
勇気を捨てて、今をなんとなく決めて前に進んでみよう!