何も考えずはしゃいでいたあの時にあなたの答えがある
≪Photo&Word&calligraphy:Masatoshi Kusakari≫
自分ってどんな個性?
自分ってどんな性格?
自分ってどんな本質?
人間として生きてくると、きっと今まで何度もこの疑問が浮かび、そして向き合ってきているんじゃないかな。
いわゆる自分探しと言うやつ。
人はそれぞれ自分のタイミングでこれと向き合う時があり、そしてその時にそれぞれ自分の答えを出していると思う。
僕ら世代で言えば、大学受験や就職活動。自己分析とかってあったよね~。
言っちゃうと。
「自分は何をしたいのか?何をするために大学に行くのか?なぜ大学行くのか?違う道はないのか?」
「自分は何をしたいのか?何をするために会社に行くのか?なぜ会社に行くのか?違う道はないのか?」
『自分のしたい』と向き合うこと。
これが自分と向き合うことだったりする。
で。
『自分のしたい』という気持ち。これってどこにあるかっていうと。
生きている以上あなたの心のどこかにある。だってその想いや力が生きる力だから。
でも、あるはずなのに見つからない。そういう人も多くいる。その人に言いたい。
「わすれているだけだー!おもいだせっー!!」
5歳と3歳の娘が遊んでいた時。僕は衝撃的な光景を目の当たりにした。
彼女達の目の前にボールペンが落ちていた。すると長女はおもむろにそのペンを拾い、何をやったかというと・・・。
「まほうつかいプリキュアっ!」と言って、そのボールペンをなんか武器なのか持ってポーズを決めて遊んでいた。
そしてしばらくすると飽きてボールペンを地べたに置くと、そこにとんできたのが次女。またおもむろにボールペーンを拾うと…。
「へっひゃっふゅっはっ!」と不可思議な笑い声を出して、持ったボールペンを適当に投げたのだ。
そして、またそのボールペンのところに行って、拾い上げ、同じことを繰り返した。
この凄さわかる!?すごくない!?????…あれ!?この感動…僕ひとりぼっち!???
僕はすごく感動した。ボールペンってそんな使いみちがあるんだ!?と。
僕からしたら、ボールペンは書くものだから、字を書いたり、絵を書くくらいしか使いみちがないと思ってたけど。
使いみちは無限にあるんだと。
そして、ここで言いたいのが。これが『やりたいこと』を人は持っているということ。そしてそれを人はやれるんだということ。
僕はボールペンを見たら何か言葉を書きたいと思う。
長女はボールペンを見たらプリキュアごっこがしたいと思う。
次女はボールペンを見たら投げてみたいと思う。
同じもの、同じアイテム、同じ道具を見ても、人はそれぞれやりたいことがちがうんだ。
あなたは小さい時よく何をやっていただろうか?
子供の時は大人に邪魔されてなければ、こうやってやりたいことを常に持ち、やりたことをやっていた。
そして、それが自分の感性や個性や性格の本質。
多くは教育が社会が近くにいる大人が。「こうしなさい」「ああしなさい」と「しなければならない」という固定概念を子供の僕らに押し付けてきた。
小さい頃の僕らは何が正しいか正しくないかなんて判断できないから、親や先生のこの教えを忠実に守り。
本当は『こうしたい』のに、それをがまんして、自分の感性や個性や性格に蓋をしたり、鎧をかぶせて、この社会に順応する自分を作ってきて今がある。
今、自分の個性や性格や本質がわからずに悩んでいるという人は。
蓋をしたツボを上からみて中身が見えないって言ってる。
鎧の上から自分を見て、中にどんな服を来てるか、どんな体をしているかを見ようとしてる。
それじゃ見えないよね~。
簡単に言っちゃえばこの蓋や鎧を取ることだけど、それができたら苦労しない。
だから。
見ようと努力するんじゃなくて、思い出すことに力を入れてみたらどうたろう
一人残らず、幼少期に自分の本質はあったよ。きっとね。だから、それを思い出してみること。
・小さい頃の写真を見返してみたり
・両親に小さい頃の自分の思い出を聞いてみたり
・小さい頃よく遊んだ友達に会いに行って語ってみたり
・自分で記憶に残っている小さい頃の思い出を思い出してみたり
すると色々思い出すことがあると思う。
例えば僕が真っ先に思い出したのは。
「くさかっちゃんは遊びの天才だっペ」(宮城県は仙台の田舎で暮らしていた時の話)
その日は朝から僕はソワソワしていた。なぜならその夜にある大計画を実行に移そうとしていたからだ。
弟と友達の池ちゃんをそそのかして、昼のうちに親にバレないようにおにぎりを作って部屋に隠し持っていた。
そしていつもと同じように寝たと親に思い込ませて、夜に家をこっそり脱走。
秘密基地でみんなで集合し、一晩泊まって遊ぼうとおにぎりを食べて最高な星と夜風にひたっていたんだ。
寒いはずだけど寒さも感じず、ただただきれいな星がたくさんあって、僕らは自由なんだなーって感じてた。
しばらくすると、遠くからあっちこっち照らす光の列がこっちに近づいてきた。よく見たら大人10人くらいが懐中電灯を持って捜索に。。
結局御用となって、めちゃくちゃ怒られた。でもあの日の夜は一生忘れない。僕は世界は限りなく自由だって気づいた夜だから。
って。
ちょっと小説風に書いてみたけど(笑)これが一番の思い出かな。
でもその後も懲りずにね。危険だから行くなというダムに釣りにいって、弟に怪我させたり。当時流行ったミニ四駆という電池で走る車のコースが家になかったから、外の排水口を使ってレースをやって女子も巻き込んで大会をしたり。お酒の蓋を回すとコマになることを発見し、酒蓋のコマを学校で流行らせたり。
そういえば思い出したら、この時ってバレンタインの本命のチョコを10個近くもらっていたなと( ̄ー ̄)ニヤリ
でも、転校して千葉に行ってからは、いじめや環境の変化でこの本質のエネルギー出せず、そこからは…(泣)
思い出してみると、自分もまだまだ本質全快では生きれてないな~と。
『やりたいことをやること』
『おもしろいものをつくること』
『むちゃでもやること』
自分を振り返っても、とにかくやりたいと思ったことはやって生きてきているけど。まだまだあるからね( ̄ー ̄)ニヤリ
さて。
あなたは幼少期どんな楽しい記憶がある?
どんなことをよくやってった?
どんなことをよく言われていた?
見つけようと探したり、目を凝らして見ようとするんじゃなくて、思い出すことに時間を使うと。。
意外と早く自分の個性や性格や本質が見つかるかもよ。
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コメント欄で
・あなたは幼少期どんな楽しい記憶がある?
・どんなことをよくやってった?
・どんなことをよく言われていた?
これについて答えてみてね。きっと自分が整理されて自分の今の生き方に確信が持てるようになると思うよ。
そしてあなたが感じた意見とアウトプットが誰かの気付きとなり誰かの変化となると思う。
お待ちしてまーす![/voice]