幸せとはつながりをつくること

 

あの時、僕は都内の中学校で講演をしていた。

 

「夢がないからいい。目の前の人に喜んでもらって生きよう。」

 

そんな話をした矢先に、あの大震災が起こった。

 

中学生たちは震え、
僕は一晩帰れず、
お腹に子供がいる妻は一晩眠れぬ夜を過ごした。

 

目の前の人に喜んでもらうこと。

 

たしかにこれだけで今までのすべての仕事は生まれ、
自由に仕事をさせてもらえる生き方ができるようになった。

でも。

あの震災は僕に大きな問いをかけた。

「幸せとは何か?」

3.11東日本大震災。
あの経験は僕の人生を大きく変えました。

 

お前は友達の家が火事になった時助けられるか?

震災の2年前、僕は結婚しました。
そしてその妻は社会福祉士という仕事をしていました。

その妻にはやりたいことがあり、
お世話になったこの場所に恩返しがしたと。
そして彼女の想いは、

「究極の福祉は福祉がなくなること」

という想いがあったんです。

 

そこで『人とのつながり』をテーマに
映画『降りてゆく生き方』という上映会を企画しました。

そこで出会った人に言われたのがこの言葉。

「友達の家が火事になったら…友達の家まで行くのにだいたいみんな1時間はかかる。。」

 

この活動を通して、
手伝ってくれた、参加してくれたメンバーと
深いつながりをつくることができました。

だけど、その友達の家が火事になっも
手伝いに行くことができないと知りました。

そしてそこで感じたのが、
自転車でいける地元のつながりを大事にしたい!
という気持ちだったんです。

 

お前は食べ物を作ることができるか?

でもその気持ちを持ちつつも
具体的な行動が行われぬまま、あの震災が起こりました。

あの震災は見えるもの、見えないもの、
様々な恐怖の形で僕らを襲いました。

そして、実家でもある仙台にボランティア活動に言っていた時、
ふと自分の心にこの言葉が降りてきたんです。

「自分の力で食べ物を作ることができるか?」

答えはNOでした。

 

でもそこで気づいたんです。
命の源である食べ物を他人に外に丸投げして生きること。
これで本当にいいのか?って。

映画上映後、ご近所さん祭りというイベントを地元でやり、
地元のつながりを作ってきていました。

そして震災後にそれは急発展。

「農業体験施設を作りたい!」
「食べ物をつくる体験をする場所を作りたい!」
「本物の野菜を子供達に食べさせたい!」

その声をそのつながりの人達に届けていったら、
奇跡的に家から徒歩数分の場所に福祉施設が持て余している
700坪の農地が見つかりました。

 

でもそんな大きな農地を農業素人が
どうしていいかまったくわかりません。

しかもそこを運営するには道具をそろえたり
そこそこのお金が必要でした。

でも奇跡が起こります。

 

100万円をポケットマネーで出資してくれる社長が現れ。

生ごみたい肥で農業を教えている先生が現れ。

そして農業体験施設『つくるんだ村』が完成したのです。

想いを伝え、
それに必要なものを持っている人がつながると、
物事はあっという間につくることができる。

その軌跡を体験した出来事でした。

現在も千葉県の市川市に尚も今、
想いを継承した『つくるんだ村』は存在します。

そして、僕がいた当初は成し遂げられなかった、
子供達、ファミリーで農場に遊びに来てもらい、
本物の野菜を子供の口に届けること。

なんと今は1月に50組もの家族が集まり、
その想いが果たされています。

 

想いはつながりを作り、
つながりは形をつくり
つながりのある形は継続していく。

 

それを学ばせてもらいました。

 

幸せとは何か?

 

震災の時に僕の頭に強烈に入ってきたこの質問。

その僕の答えは、

 

『つながり』
です。

 

人ととのつながりで、
楽しくご飯を食べ、会話して、笑顔の幸せの時間は作れる。

そして、自分が叶えたい想いも、
人とのつながりで形にすることができる。

そして、
つながりは人だけじゃない。

農を体験することにより、
自然とのつながりが人間に様々な幸せを作ることも知りました。

 

実はつくるんだ村では2名のうつ病患者の人が
農体験をすることで数カ月で社会復帰したという実績があります。

 

『つながりをつくる』

 

これが幸せをつくることであり、
すべての叶える魔法なんだと今も思っています。

 

そして、、

僕はつくるんだ村を作り1年で、
次の目標を見つけ、大きな決断をしたんです。

最新情報をチェックしよう!