信じるとは
体の喜びの声を感じること
「大丈夫!自分を信じなさい!」
ってフレーズ。世の中にたくさんあるよね。
この信じるってなんだろう?どういうことだろう?
たぶん世の中的には、これが正しいと思う的な感じの意味なんだと思う。
でも。
正しいか正しくないかなんて、やってみんとわからんやん!って思う。
信じるには迷いがつきものな感じがする。
「信じられればいいけど、まだ信じられない。」
「正しいと思いたいけど、まだ正しいと思えない。」
そりゃそーだよね。
正しいか正しくないかなんて、自分はおろか誰もわからないもん。
信じることは力になる。それは僕は間違いなくそう思う。
「大丈夫!この病気は治る!」
「この方向できっと自分は大丈夫だ!」
「誰になんと言われようとこれが自分だ!」
そうやって、信じる力を使うと、不思議といい方向に進んでいく。
だから。
さっさと信じちゃえばいいけど、僕らはなかなか信じることができない。
なぜなら?それが正しいか正しくないかをわかろうとするから。
信じるジャッジをやめてしまえ!
信じる力を使うのに、ジャッジなんかしてたら、ジャッジにエネルギー使いすぎて、やっと信じて信じる力のエネルギーが入ってきても、ジャッジでなくなった分、トントンくらいになってる。
「とはの問い。こんな発信して誰かに役に立つのかな?やっても大丈夫かな?やらない方がいいかな?」って。
んなもん考えたってわかるわきゃない。
そうやってモンモンと考えて過ぎていく時間。
そして机上で頭抱えている時間。
その時間があったら、もう何個もとはの問いのブログ書けてるやん!
ジャッジの時間と思考の労力はもったいない!
では。
どうやったら僕らは信じれるようになるんだろう?
心で感じるのをやめて体で感じるんだ!
「筆文字興味があるんだけど、私に筆文字って合うかな?やっていけるかな?」
これは考えても永遠にでない答えです。でもこの答えをすぐに出す方法がある。
その考えている時間を使って、文房具屋に言って、筆ペン買ってきて、ひとまず紙に自分でなんか書いてみて。
そしたらさ。わかってるくんだよ。
心というか体がね。
「この筆のスラスラ進む感覚。きもちー!!!!」
そう。気持ちよさ心地よさを体で感じたら、人は信じれるようになる。
「な・なんかすごい!なんだこの感覚!!」
その人にしかわからない、自分の中で湧き上がる感動。これを感じたら信じることに確信を持てる。
「・・・。」
言葉はいらない。体に鳥肌が立ち、ここちいいふるえが起こったら。信じないという選択肢はなくなる。
信じることを頭で考えてジャッジして信じていくんじゃなくて。
やってみて、体の声を聞いていく。
気持ちよさ。心地よさがあるか感じる。
感動が沸き起こるか感じる。
体の細胞がふるえて喜んでいるか感じる。
頭は簡単にウソをつくし、簡単に考えを入れ替えたり、人に入れ替えられたりする。
そして人はその度に混乱し、また大好きな迷いや悩みの迷路に入る。
でも体はウソをつかない。つけない。
信じるとは。体感だ。
信じるとは。体の喜びの声を感じること。
あなたにとって信じるとはなんですか?