決められ慣れた場から自分で決め慣れる場へ

kimenare

僕らは決め慣れていない、決められ慣れている。

『自由』になるためには、自分で『決めた』数が大事という話をした。

僕らは生まれながらに。

服(衣)を与えられ。
食べ物(食)を与えられ。
住む場所(住)を与えられた。

そして。

学校(教育)を与えられ。

そこで、先生という存在によって、決められ慣らされていった。

「この勉強をしなさい。」
「休み時間にしか遊んではいけません。」
「給食の時間にしかごはんを食べてはいけません。」

僕らはどんどん自分で決めることを手放し、学校、先生、親に与えられたものを『やらなければならない』という不自由さのもとにただこなすことをしてきた。

おそらく。

今不自由さを感じて生きている人は。
不自由さに慣れ。
不自由な生活を自ら選んでしまっているのかもしれない。

なぜなら。

不自由さに慣れているから。

人は慣れているところ、安住に弱い生き物。

嫌という心とは裏腹に、慣れている場所からなかなか抜け出ることはできない。

早弁していた人は早く決める力を取り戻せ!

bentou

あなたは学校で早弁(お昼の時間の前に休み時間、授業中に弁当を食べること)していただろうか?

もししていたなら。
あなたはまだ不自由に対抗する『決める』力が自分の体のどこかに眠っているはずだ。

『お昼の時間にご飯を食べる』という長年の不自由な洗脳をものともせず。周りの目もものともせず。

お昼の前の休み時間。さらには授業中に食べるという暴挙を決断をできたのは半端じゃない力だ。

かくいう僕も、さすがに授業中にはできなかったが、早弁してお昼休みと同時に外に行ってサッカーをしていた。

僕は空腹よりも遊びが優先して洗脳の規則を自分の決断で破っていた。

決められたことを破る勇気を!

別に破っても死にはしない!

 

『決める』力を手放すと人の力は半減する

あるイベントを企画した時のこと。

1000人の会場で映画を上映して、1000人の人に見てもらうという無謀な目標を立てた。

しかし。

その無謀な挑戦を応援しにスタッフになってくれた人はすごい人ぞろいだった。

数百人を読んでイベントをするイベンターが10人近く。そして、ファンを持っている人間力のある人合わせて20人がスタッフとなった。

最初の顔合わせミーティングできっと誰もが思った。

「このメンバーならきっと1000人はいける!」

そして。

僕らは何も決めぬまま、互いに互いの力を信じて声をかけていった。

 

イベント日2週間前。

最後の全体ミーティングの日。

誰もがびっくりした。

まだ200人しか人が集まっていなかった。

互いが互いの力にゆだねて、自分で決めて自分の力を発揮していなかった。

ここでみんなにスイッチが入った。

 

自分で決めて自分のできることを精一杯やろう。

 

ある人は、腱鞘炎になって携帯が熱暴走して壊れるまで、自分の携帯のメモリーに入っている人全員に一人ずつメッセージを添えてイベントを紹介した。

ある人は、イベント前夜まで開催場所の近くの家何千世帯にもチラシをポスティングした。

ある人は、当日の朝も会場の近くで自腹で飴を買ってその飴をチラシにつけて、開始直前まで街ゆく人に配った。

結果。

800人の人がイベントに来てくれた。

2週間で600人の人がきた。

2週間前に何があったか?

スタッフそれぞれが、人に任せるのを辞めて、自分で決めて自分で動くことを決めた。

 

決めることを取り戻したら自分の本来の力は取り戻す。

 

楽(らく)から自分を遠ざけろ

 

決めなれた場所にあるもの。それは。

楽(らく)

この漢字は『楽しい』とも読むけど、楽しいと楽(らく)には雲泥の差がある。

楽を選んで生きると、人、環境、もののせいにして、自分で決めることからどんどん遠ざかる。

その結果。

どんどん不自由になる。

楽(らく)への選択から、楽しいの選択へ。

他への依存をする楽から、己へと自立する楽しいへ。

自分の『楽しい』を大切に自分で決めて生きれば、自由は取り戻せる。

 

くっちゃん
【今日の遊び】

楽(らく)という依存を選ばずに、楽しいという自立を選らんで生きてみる

 

≪Photo&Word&calligraphy:Masatoshi Kusakari≫

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